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2022年考研公共日语真题,听说今年日语203比较简单?

来源:第六时限
日期:2022-03-23 14:10:25
浏览次数:2190

2022年考研已经结束,发挥失利的同学在考虑二战或者转战其他方向。第六时限老师在考研结束时曾采访了多位日语203的考生,今年203日语考研真题比较简单吗?咱们一起来做一遍2022年考研公共日语真题,亲自感受一下吧!

2022年考研日语203真题

Ⅰ基礎知識

次の文章を読んで、1~20の問いに答えなさい。こたえは選択肢[A][B][C][D]からもっとも適切なものをを一つ選びなさい(1点*20=20点)

 

どこかへ旅行がしてみたくなる。しかし別にどこという決まった当てがない。そういう時に旅行案内記の類をあけて見ると、あるいは海浜、あるいは温泉といったように,行くべき所がありすぎるほどある。そこでまず( 1 )温泉なら温泉と決めて,温泉の部を少し詳しく見ていくと、各温泉の周囲の名所旧跡などのだいたいがざっと分かる。しかしもう少し詳しく具体的な事が知りたくなって、今度( 2 )温泉専門の案内書を搜し出して読んでみる。そうするとまずぼんやりとおおよその見当がついて来るが、いくら詳細な案内記を丁寧に読んでみたところで、結局本当のところは自分で行って見なければ分かる( 3 )はない。もしもそれが分かるようならば、うちで書物だけ読んで( 4 )わざわざ出かける必要はないと言ってもいい。次には念のためにいろいろの人の話を聞いてみても、人( 5 )かなり言うことが違っていて、だれを信じていいか分からなくなってしまう。それでさんざんに( 6 )特别後には、つまりいい加減に,責でも投げると同じような偶然な機緑によって目的の地をどうにか決めるほかはない。

こういうやり方は言わば正統派のやり方であると言われる。これは多くの人々( 7 )特别も安全な方法であって、こうすればめったに大きな失望やとんでもない違算を生ずる心配が少ない。そうして主要な名所旧跡をうっかり見落とす気遣いもない。

しかしこれと違ったやり方もないてはない。例えば旅行がしたくなると同時に特别初から賽をふって行く所を決めてしまう。あろいは偶然に読んだ詩篇か小説かの中である感興に打たれたような場所に決めてしまう。そうして案内記などにはまったくかまわず飛び出していく。そうして自分の足と目( 8 )自由に気の向くままに歩き回り、見て回る。この方法はとかくいろいろな失策や困難を引き起こしやすい。またいわゆる名所旧跡などのすぐ前を通りながら知らずに見逃してしまったりするのはありがちなことである。これは危険の多い非正統派のやり方である。これはうっかリ一般の人に勧めることのでき( 9 )やり方である.

しかし前の安全な方法にも短所はある。読んだ案内書や聞いた人の話が、いつまでも頭の中に巣をつくっていて、それが自分の目を隠し( 10 )を覆う。それがためにせっかくわさわぎ出かけて来た自分自身は営わば行李の中にでも押し込められたような形になり、結局案内記や話した人が動に入ったり見物したり享楽したりすると同じような( 11 )になる、こらいらふうになりたがる恐れがある。もちろんこれは案内書や教えた人の( 12 )ではない。

しかしそれでも結構であるという人がれいぶんある。そういう人はもちろんそれでよい。

 

(1)-(12)に入れるのにもっとも適切なものはどれか。

1.[A] どうも

[B] かりに

[C] まるで

[D]たぶん

2.[A] の

[B] で

[C] は

[D] に

3.[A] ほか

[B] ほう

[C]もの

[D] はず

4.[A] あれば

[B] いれば

[C]やれば

[D] くれれば

5.[A] において

[B] に応じて

[C] によって

[D] にかけて

6.[A] 調べる

[B] 調べた

[C] 調へている

[D] 調べていた

7.[A] につれて

[B] に対して

[C] に伴って

[D] にとって

8.[A] で

[B] に

[C] と

[D] を

9.[A] かねる

[B] かねない

[C] かねている

[D] かねていない

10.[A] 首

[B] 鼻

[C] 口

[D] 耳

11.[A] ところ

[B] つもり

[C] こと

[D] わけ

12.[A] ミス

[B] コース

[C] ルール

[D] ミックス

 

13.文中の「読んでみたとこるで」の「ところて」と同じ使い方のものはどれか。

Aどんなに節約をしたところで,毎月赤字だ。

B.この部屋は本を読むところで、喫煙室ではありません。

C.メールを送信しようとするところで、停電してしまった。

D.犬は道を渡ろうとしたところで、車にはねられてしまった。

 

14.文中の「違った」の「た」と同じ使い方のものはどれか.

A.飛行機は晴れ渡った空を飛んでいる。

B.そうだ、今日はわたしの誕生日だった。

C.あの店は子供の頃よく行ったお菓子屋です。

D.昨日,雪が降ったので開会式は延期となった。

 

15.文中の「気の向く」に当たる解釈はどれか。

A.勝手に振舞う。

B.思う通りに行う。

C.ある事をしたい気になる。

D.満足がいくように行動する。

 

16.文中の「行李の中にでも」の「でも」と同じ使い方のものはどれか。

Aそんなことは誰でも知っているでしよう。

B.いつでもかまわないから、来てください。

C.これぐらいのことは小学一年生でも分かる。

D.予算が余ったから、おいしいものでも食べようか。

 

17.文中の「それでも結構である」の「結構」と同じ使い方のものはどれか。

A文章の結構を考える。

B.Sサイズで結構です。

C.結構なお住まいてすね。

D.日本語の発音も結構難しいものだ。

 

18.文中の「それでよい」の「で」と同じ使い方のものはどれか。

A寝不足で朝からあくびの連続だ。

B.彼女はただ頷くのみで、何も言わなかった。

C.あとで片付けろから、そのままで大丈夫だよ。

D.大学生の就職状況についてアンケートで調べた。

 

19.文中の「詳細」の読みがはどれか。

A.こうせい       B.こうさい

C.しょうせい      D.しょうさい

 

20.文中の「投げる」の「投」の読み方はどれか.

A.ま    B.さ     C.な     D.と

 


 

 

Ⅱ読解(55点)

A.次の文章の【一】【二】【三】【四]を読んで、21~40 の問いに答えなさい,答えは選択肢A、B、C、Dからもっとも適切なものを1つ選びなさい。(2点x20=40点)

[一]

電話がかかってくる。こちらが出ると、たいてい、「常話で誠に失礼です…と相手は言う。そういうのが礼儀らしい。しかし、電話でものを頼むのは、そんなに失礼なことであろうか。それでは、何のために電話があるのか分からない。

私は自分の結婚式の仲人をお願いするのも電話で頼んだ。大学者のK先生である。すると、それを開いた友人は、K先生に対して失れではないかというのである。私に言わせれば、学者というような方の時間を少しでも無駄にしたくなかった。訪ねてゆけば,当然お茶くらい出されるであろう。

電話というものがあれば、そのほうが手っ取り早い、かつ合理的ではないか。

某出版社はとりわけ礼儀正しく、原稿の依頼に編集者が来訪してくる。これはまあよい。そのあと、締切日ははるか先なのに、たびたび様子を伺いに来る。もともと,昔の紳士がいけなかったらしい。彼らは、突然来訪されて、様子などを聞かれ、それではというので原稿を書く。ちっとも激励に来ないと,自尊心を傷つけられたりしたらしい。まるで子供である。

私は、いったん引き受けた以上,締切ギリギリになったりしたことは、この六年間に一度しかない。いつも、締切日ははるか前に原稿はできている。そういう見当がつかない限り、初めから引き受けない。このほうが、よはど近代的で立派ではないか。というより、本当は気が弱いのである。電話なら、相手を見ないで済む、人間がやってきて.その依頼を断らなければならない時、とても嫌な気がする。神経が滅茶苦茶になる。

小さな中学生などが突然やってきて、講演などを依頼され、断るのに必死になって帰ってもらった後、長いこと私の胸は痛む。そしてどうしてもこう思う。なぜわざわざ苦労して私の家を探したりしてくれるか。

編集者が電話をかけてきて、ちょっとお会いしたいという。このような「ちょっと」が怖い。本当は電話で用が足りるのである.

近ごろは、「電話で誠に失礼ですが···」という文句を聞いても腹が立ってくる。その間にさっさと用件を言ったらよい。この世には、みんな細かい形ばかりの礼儀作法より大切なことがたくさんある.

とにかく、私は生きた人間の実物より電話のほうが好きだが,更に本音を吐けば、電話というものもうるさいものだから、一片の紙片の手紙のほうが好きである。

 

21.文中に「失れでけないか」とあるが。それはなぜか.

A大学者にお茶を出していただくのはよくないから

B大学者の時間を少しでも無駄にしてはいけないから

C仲人のような依頼は、対面で頼んだほうが礼儀正しいから

D.依頼を受ける人は大学者なので、時間がとても貴重だから

 

22.文中に「合理的ではないか」とあるが、筆者はなぜ「合理的」と考えるのか。

A.他の人に腹を立たせることがないから

B.訪問より礼儀正しいし、失礼ではないから

C.依頼する相手に対しては失礼にならないから

D.形ばかりの礼儀作法などがなくても用が足りるから

 

23.文中の「このほう」は、何を指しているか。

A.締切日に問に合うようこ原稿を必死に書くこと

B.締切日に原稿を完成しないのは一度もないこと

C.締切日の見当がつかなくても原構を引き受けること

D.締切日までにできるか否かわからない時は原稿を引き受けないこと

 

24.文中に「一片の紙片···が好きにある」とあるか、筆者はながそう思うか。

A.苦労してまで訪ねてきた編集者との接触のほうがどうしても嫌いだから

B.電話や面会より文子で書いなもののほうが依頓内容が分かりやすいから

C.手紙のほうが形式的な礼儀作法を略してもょいし、断りもしやすいから

D.手紙で頼まれたほうが電話のやり取りより正式な依頓だと感じているから

 

25.この文章の内容に合っているものはどれか.

A.電話でものを頼むとき、直接に用件を言ってもらいたい。

B.編集者がたびたび電話をして、締切日のことを注意している。

C.わざわざ苦労して私の家を訪ねてくる人に頼まれると、嫌な気持ちになる。

D.編集者からちょっとお会いしたいという電話がくると、失礼だという気持ちになる。

 

[二]

畳という平面が日本人の生活の場なのであった。そこに座るもよし、寝そべるもよし、勝手な姿勢をとってよかった。押入れから布団を出世ば畳の部屋は寝室になり、チャプ台を出せば食堂にもなった。布団やチャンス台は、確かに家具には違いないが、いずれもきわめて軽便で、使わない時には適当にしまっておけばよかった。要するに日本の室内は、何も置いてない状態が常態なのであって,必要に応じて、小道具で、どのようにでもその空間の用途を自在に演出することができたのである。

そういう文化的伝統の上で見ると、耐久消費財は、まったく日本人にとって馴染みの薄いものであった、と言わざるを得ない。それらはいずれもかさばったものであって、布団のように、ちよいとたたんでしまっておく、というわけにはいかない性買のものだったのだ.

いわゆる「家具」にしたってそうだ。応接ャットとか、ベッドとか、食卓とかが続々と室内に聞入してくると,これは伝統的空間処理法ではどうにも片付かないのである。西洋風の「家具」たちは、室内にデンと腰をすえて、いっこうに動こうとしない、前に論じたように「家具」という言葉にあたる西洋の言葉は、語源的に「動かすことのできるもの」ということを意味した。家屋が動かすことのできない生活空間であるのに対して、椅子や机は自由に動かすことのできる住宅付帯設備、というわけだ。

しかし、実用上、「家具」は、動かない。日本のように、小都屋の多い住宅の中では、とりわけ動きにくい。2DKの団地などて、食卓だのソソァだのを置くと、皮肉なことに、それを使う人間の日由な運動さえもいちじるしく妨害される。だから,豪華な家具が小住宅に入れられなところでは,人間がカニの横ばい式に家具と家具の間を辛うじて通り向ける。といった風景が展開されたりするのであった。

大正時代の日本人は、その点で賢明であった。かれらは、西洋風の家具が、やたらに空問を占領する性質をもっている、という事実を直観的に見技いて、これらの家具を独立の「応接問」というところに集中管理した。応接セット、ピアノ、そして洋式デスク――そういったものを、すべて( ア )に収容して、普段に使用する豊の部屋に家具が侵入することを防いだのである。応接問という形式には、わたしなどは、大いに疑問を感じるところもあり、かつて、そうした事情を批判したこともあったけれど、和式·洋式をビシャリと分離して、家具を日本的空間から排除したというのは、みごとな知恵であったと思う。

 

26.文中に「どのようにでもその空間の用途を自在に演出することができた」とあるが、どういう意味か.

A.多用途に部屋のスペースが活用できた。

B.広い部屋の中で劇を演じることができた。

C.ほしいままに部屋を舞台とすることができた。

D.部屋の空間を活用して,劇まで演じられるようにした。

 

27.文中の「伝統的空間処理法」とは,どんな方法か。

A.使わない時にはしまっておく方法

B.用途に応じて家具を組み合わせる方法

C.机や椅子などを住宅付帯設備にする方法

D.動かすことのできない小道具を生かす方法

 

28.文中に「大正時代·····賢明であった」とあるが、そういう理由はどれか。

A.動かしやすい家具だけを部屋に入れた。

B.西洋風の家具の長所を日本に取り入れた。

C.家具を独立の「応接門」に集中管理した。

D.自由な空問を保つために、家具はいっさい部屋に入れなかった。

 

29.文中の(ア)に入れるものはどれか。

A.畳の部屋

B.和式の部屋

C.日本的空間

D.洋式の応接間

 

30.この文章で筆者がもっとも言いたいことは何か.

A.和室と洋室を分離して扱うのは日本人の知恵だ。

B.和式の家具は洋式の家具より使いやすいものだ.

C.家具は和室に合わないから,日本の住宅から排除したほうがいい。

D.家具は生活に欠かせないものだが、豪華な家具は取り入れないほうがいい。

 

[三]

近ごろ写真による日本の近代史がいろいろ刊行されます。明治維新が写真術発明以後の事件であったために、日本の近化はその出発の当初から、激しい変化の様相の、比齢的正確な資料に恵まれているわけですが、そういう写真を見て、いつも不思議に感じるのは、これらのごく近い過たの記録がひどく高はが物かひどく疎遠な感じ、まるで別の国の出来るのような印象しか与えてくわことです。

無論明治、大正のころの写真術が、現代のように、人間の生態を動的に捉えることができなかったという事情が働いているでしょう。しかしたとえ技術は幼稚であっても、レンズの被写体に対する無遠慮なリアリズムは昔も今も変わることはないのに、ほくらが現代の外国に対してより、自国の過去に対して、ずっと疎遠な感じを抱くのは、恐らくその対象の性格そのものからきています。

人々の生活や思考に空間の陸害がほとんどなくなり、地球上のどの地点にも、同じ人間が同じような生活をしている事実を実感できるのは、問代の特色なのかもしれませんが.それと同時に少なくともはくら日本人にとって時間の障屋はかつてないほど厚くなっているのです。

二、三代前の自分たちの生活が、単に異様な風俗として知的好奇心の対象にしならないという事態は、あろいは現代のぼくらの生活の所産かもしれません。問題はそれが人間として自然な感情であるかということです。

現代人の生活が世界を通じてひとつのものになリつつある。事実でしょう。政治や経済の領域で、ちょうと張り詰めた弦の一端をたたくとその振動がすぐ他の端に伝わるように、世界のどんな片隅の出来事もぼくらの生活にすぐ響くだけでなく、生活の水準と様式とは次第に平均化し,一様化しています。

世界のどこに行っても、大都会に住む者は、みな、同じような勤め人であり、商人であって,彼らの服装や生活の喜びや悩みはほとんど共通のものです。美術や文学の鋭敏な相互影響は、現代人の直面する問題が根本は同じであるところからきているのでしょう。   (ア)、このように「世界」がぼくらの生活の場として現実に成立したことは、決してぼくらが民族として辿ってきた過去を忘れるべき時がきたことを意味しないはずです。

反対に「世界」や「人類」が単なる概念でなく、現実に共同の生活を始めた時こそ、民族の自党が他との生活を通じた接触によって、深められるべきなのです。

事実、民族の意識は、今日の広大な地域で歴史を動かすカとして働いています。このことは、世界の一体化と矛盾するようですが、実はその自然な反面を成しているので、ちょうど個人の場合でも、社会と接触する度合いが深まるにつれて個性の自覚がはっきりしてくるように。外国との交渉が日常の現実を形作るに従って、民族の自覚は他との摩擦によって高まらさるを得ないのです。

 

31.文中に「まムで別の国·····与えてくれめことで主」とあるが、その理由として一番重要なのは次のどれか。

A.日本人にとって空間の障壁はかつてないほど厚くなっていること

B.当時の写真に撮られたものが現代と違った性格を持っていること

C.二、三代前の日本人の生活に対する態度が現代とは達っていること

D.現代の日本人の好奇心が、外国の過去へと偏ってしまていること

 

32.文中に「空間の障害ミとんどンミなり」とあるか、それまぜか

A.現代人の生活が世界を通じて-つのものはなりつつあるから

B.国や地方によって、人々の生活や思考などが異なっているから

C.写真により、地球上のどこの物ても手近に見えるようになったから

D.どんな大きな出来事があっても、日本人の生活に影警することはないから

 

33.文中の( ア )に入れろものはどれか.

A.すると   B.か   C.しかし   D.ななら

 

34.文中に「民族の意議······働いています」とあるが、「民族の意識」について、筆者はどう考えているか。

A.世界の一体化と民族の自覚の高まりは矛盾することであり、どちらもともに高めることは大変に困難なことである。

B.外国との行き来が多くなり、付き合いが深まれば深まるほど、自分たちの民族としての自覚も自然に高まるほかはない。

C.世界が一つになったからといって、自分たちの民族としての過去を簡単に忘れ去ってしまうのは情けなく残念なことである。

D.今や世界は一つであり、自分たちが民族として辿ってきた過去に対して、やや疎遠な感じを持つのはやむをえないことである。

 

35.この文章の内容に合っているものはどれか。

A.現代の人々の生活に対する知的好奇心は明治大正時代から由来している。

B.昔も今もレンズの被写体に対する無達慮なリアリズムは変わっていない。

C.現代人の喜びや悩みは生活水準様式の均質化によってもたらされたものだ。

D.生活の水準と様式の平均化、様化は政治や経済の領域に影響を与えていない。

 

[四]

長らく日本語のことに関わって生きてきたのだから,その由来·経過を話してみないかと編集部に言われて迷った。親父がよく、自分のことなぞ人様の前で話したりするもんじゃないと言っていた。だが「両国橋から」という題をもらって、書いてみる気になった。その訳はいずれ先にいって分るようになろだろうから、まず子供のころのことを思いかえしてみる。

私は男の子として父親に注目していたし、心の奥の方では父親への抵抗の気持を根深く持っていた。そこで親父のことを少し書くことから始めたい。

親父は夕食のすんだ後、奥の八畳の座敷に行き、南画の軸を取り出して床の間にかけ、じっと独りで見入っていることがよくあった。私の家は東京の深川で、明治時代から砂糖問屋を営み、小売りもするような商人の家だった。祖母はある時、小さい私に、「お客様がうちの砂糖でないと甘くないと言ったものだ」と語ったことがある。それは不思議な話に思われた。親父は別に学歴もない人だったのだが、生れつきということか南画、あるいは書を好んでいた。

親父のあとについてなって奥の間でただ並んで「掛け軸」を見ているだけの、まだまだ幼い息子の私に、親父は「どうだ」と声をかけたりした、絵は分らないながら同意が求められていることだけは分って「いいね」などと返事をした。こうした静かなひとときが実は親父の一番仕合わせな時であっただるう。

親父は一度見た絵や字の話になると、晩年になってからも.それは何年に何処で見たと明確に覚えている人だった。そして、切迫した資金のやリくりのために借金をしに出かけて、さいわいに借りられると、帰りがけには遠回りしてでも上野の博物館に寄って絵だの字だのを見てくるような人だった。

家業に不熱心であったからか、それとも跡取り息子を教育するつもりでもあったのお得意様への新年の年賀回りを、小学校に入ったばかりの私にさせた。正月の二目と三日,番頭(掌柜)を従えて一軒ごとに取引先を回る。挨拶の言葉は祖母から口移しで教えられた「キョートージはいろいろとお世話さまに相成り、本年も相変りませず。」それだけ言ってお辞儀をする。ついて来る番頭は唐草模様のついた緑色の大きな風呂に、手拭いを入れた行李を包んで首にかけている。お得意様の取引額に応じてその手拭いを一本,二本,三本と置く、近くから始めて遠くは洲崎の小料理屋さんまで毎年回った。キュートージとは何のことか分っていなかったが、多分それは「新春」に対する「旧冬時」または「旧冬中」だっただろう。しかし、私はお店のことは好きでなかった。

 

36.文中に「編集部に言われて迷った」とあるが、それはなぜか。

A.幼年期の事なら書いてもいいが、考えがまだまとまっていないから

B.日本語に関わってきたが、ほんとうはまだよくわかっていないから

C.すでに「両国橋から」という題で文章を書くことを決めているから

D.人前で自慢話をするものではないと、父からよく言われていたから

 

37.文中に「親父のことを少し書くことから始めかい」とあるが、それはなぜか。

A.編集部の人が父親のことから書き始のたほうがいいとすすめたから

B.男の子として,小さい時から心の奥に父親のことが好きだったから

C.父親は学歴はないが、絵や書などが好きで教養のある人だったから

D.父親に反発の気持ちもあったが、父親のことに注目もしていたから

 

38.文中に「こうした····番仕合れせな聞でをかだるう」とあるが、それはなぜか。

A.息子が自分の影響を受けて、掛け軸の勉強をし始めたから

B.自分がいいと思っている掛け軸が息子にも褒められたから

C.自分が掛け軸を見る時、息子がついてくるようになったから

D.有名な掛け軸を所蔵し、いつでも思う存分に鑑賞できるから

 

39.「私」の父親はどんな人だったか.

A.少しでも余裕があると,博物館に行くほど絵や字が大好きな人だった.

B.絵や字が好きであったが、砂糖問屋の経営もまじめにやっていた人だった。

C.学歴がなかったため,絵や字の本当の良さがほとんどわからない人だった。

D.自分の息子に絵や字の鑑賞を勉強させたいほど、それが大好きな人だった。

 

40.この文章の内容に合っているものはどれか。

A.「私」は店のことはよく知っていたが、絵は分からなかった。

B.「私」は絵や字などが嫌いだったが、店のことは好きだった。

C.「私」は店のことが好きだかち跡取り息子として育てられた。

D.「私」は教えられたとおりに番頭を連れで新年の挨接をした。


 

 

B.次の文章の下線のついた部分を中国語に訳しなさい。(3点x5=15点)

(41)「ゆとり教育」(寛松教育)は、子供たちの勉強の負担を減らし、心の余裕を確保して、より自由な発想を育もうという考え方に立って実施されてきた,例えば、総合的な学習の時間として、子供たちが課外活動や地域活動に参加できる時間を設けたり、年間の総授業時間数を減らし、週5日制を導入したりした。しかしその後、国際学力調査などで日本の子供たちの学力低下が顕著になった。2012年4月から完全実施される新学習指導要領では「脱ゆとり」を掲げ、各教科の授業時間数の約1割か増加、思考力·判断力·表現力の育成や、基礎的·基本的な知織·枝能の習得の項目が改力て明記された。

(42)「自分で考える力」を育てていくという「ゆとり教育」の目指した理念は決して悪くなかったと思う。問題があったとすれば、その理念が教職員や保護者にいたるまで十分に浸透しなかったことと、その理念を実現するための具体的施策が,教育現場でうまく機能しなかったことではないか。

(43)しかし、授業内容を自由に設計できる総合的な学習の時間をうまく機能させるには、想像以上のエネルギーを必要とした。また教員の個人的な資質や能力に影響されることが大きく、結果的に学校ごとの取り組みに大きな差が生じたのである。

ゆとり教育が掲げた理想とそれを行う現場にはかなりのギャップが生じ、学校現場にしてみれば、教職員に負担が大きく、現場にフィットしないものが丸投げされてきた感が否めない。(中略)

しかし、企業の幹部を含むリーダーたちの迷走りはどうだろう。(44)それは一部の指導者だけの問題ではなく、これからの社会がどうなるべきか、多くの国民にそうしたことを自分のこととして考える力が、教育の中で身に付いてこなかったからではないだろうか。

(45)「ゆとり教育」が国の理想と教育現場とのギャップによって機能しなかった上えに、新指導要領(新大纲)の下でも、理想と現場の落差があってはならない。同じ状況を操り返きないためにも、子どもたちがこれからの社会で自立していくにはどんなカが必要なのか、為政者や現場を含め「自分で考える力」が求められている。


 

 

Ⅲ.作文(25点)

46.次の指示にしたがって、450字~500字の作文を書きなさい。

 

もし、もう一度大学受験の機会があるとすれば、あなたは自分の好きな専攻を選ぶか、それとも将末的に就職に有利な専攻を選ぶか。自分の考えを作文に書きなさい

 

注意:

1. 自分てテーマをつけること

2.「だ·である」体で書くこと

3. 漢字を使うべきところは漢字を使うこと


 

 

答案

基础知识:

1-5:BCDBC      6-10:BDAAD

11-15 :CAAAC   16-20 :DBCDC

阅读理解:

21-25:CDDCA     26-30:AACDA

31-35:BACBB     36-40:DDBAD

翻译参考译文:

41: 译文:要减轻孩子们的学习负担(压力),他们的身心松弛,培养他们更加自由的想象力,基于这样的想法,日本开始实施宽松教育。例如,设立综合的学习时间,让孩子们能参加课外活动和地方活动,同时,减少一年的总课程时长,实行一周上学5天休息2天的制度。

42 : 译文:宽松教育主要目的是培养孩子们的“独立思考的能力”,我认为这种理念本身不受限制没有问题。如果说有问题的话,难道不应该是教师和监护人对这个理念理解的不够透彻,以及各个学校为实现这个理念所采取的具体措施未能发挥作用吗?

43:译文:但是,教师们为了充分利用好综合的学习时间来自由地设计课程内容,需要付出更多的精力。而且受教师个人素质和能力的影响很大,因此,各个学校采取的措施也会有很大的差别。

44: 译文:这并不仅仅是一部分领导人的问题,而是在教育过程中,大多数民众没有掌握把这些事情当做自己的事情来考虑的能力,比如考虑今后的社会应该会如何发展。

45: 译文:由于国家的期望和教学现状之间存在差距,“宽松教育”没能发挥作用。所以在新大纲指导下,也应消除理想和现实的落差。为了避免重复出现同样的状况,需要包括当政者和教育一线工作者在内的人员拥有“独立思考的能力”,思考孩子们在今后的社会中自力更生需要什么样的能力。

 

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